教室の考え
教育をビジネスと割り切り、成績向上および合格のみに必要とされる解き方やテクニックを教えることも塾と呼ばれる存在の一つの役割であるかもしれません。
勉強することは、単に受験というレベルで終わるものではありません。生涯を通して行うべきものです。受験を終えた先に本当の意味での学びが求められます。
勉強するという行為は本来楽しいものです。楽しいという感覚が身についた人は生涯学ぶ心を持ち続けられます。
人は能動的に物事に取り組むとき楽しさを感じます。能動的とは、自分で考え、自分の行動に責任を持ち、結果を自分の責任で受け止めるということです。こうした人のことを自立した人と言います。
当教室が目指すものは、子どもたちが学習するという行動を通して能動的に物事に取り組む、つまり自立した人を育てるということです。
時には温かさを示すことも必要でしょう。また厳しく突き放す場合もあることと思います。子どもたち一人ひとり性格も育ってきた環境も異なります。画一した方法で自立へと導けるとは思っておりません。ただ、全ての子どもたちに自立した人になって欲しいという願いのもと真剣に向き合っていきます。
社会に出るまで(=学生時代)に身につけておきたいスキルとは?教科書を通して得る様々な知識。もちろん社会生活を送る上で大切なことです。ですが、大人も子どもの頃感じたことのある“方程式って実生活で役立つの?”という疑問の答えにはなっておりません。教科書を通して得た知識が、社会という場で直接役立つのはほんの限られた一部であるのが現実です。
では何のための勉強?何のための受験?私が思う勉強や受験を通して身につけるべきことは、自分自身の立ち位置を客観的に見るという習慣、そして目標を達成するために何をどうすべきかを考え実行に移していく力です。学生時代に行う勉強の多くは“正答”があらかじめの用意されています。成績向上や受験での成功も、何を身につければ成し遂げられるのかはっきりしています。行動の指針がはっきりしている中で、何をどう行動していくか自分で考える習慣を身につけておくこと、このことこそ社会に出るまでの獲得しておくべき最たるものであると考えます。
実社会で出会う問題の多くは“正答”が用意されておりません。そしてそうした問題を解決していくことが要求されます。問題を解決する力が身についていない人間は、もんだいに立ち向かうことを諦める(逃げる、目を背ける)選択をすることになります。
志望校合格た成績向上を目指す中で、身につけるべき力は目の前に立ちはだかる問題を解決する力であり、私は塾という学習の場で社会に出た時に通用する力を生徒たちに身につけて欲しいと願い教室を運営しています。
指示されたことのみを行う。
誰かにこれをやりなさいと言われたことだけを行う。
わからないことや間違えたところは教えてもらえばいい。
こうした勉強を続けていると、指示を出してくれる誰か、教えてくれる誰かがいないと勉強が出来ないという状態に必然的になってきます。
『誰か』がいなければ勉強することが出来ない。
この状態のまま社会に子どもたちを出してよいのでしょうか?
社会に出れば、社会に要求される人物として自分を磨いて行かねばなりません。
しかし、どのように磨くかを指示してくれる誰かはおりません。
必要なスキルを身に付けるための具体的な行動を、自分の判断でしていかなければならなくなるのが社会に出るということです。
稲進会では、学習指導を通じて目の前にある問題点に自分から向かい、具体的な行動に移していく習慣を個々の状況にあわせ身に付けてもらいます。
何かに挑戦するとき、何も問題が起きずに成功するということはほとんどありません。
思い通りにいかない中に成功へのヒントや道筋が隠れています。
失敗は決してマイナスではない、あきらめさえしなければその経験はプラスにかわっていくことを学習指導を通して伝えていきたいと思っています。
勉強することは、誰の課題ですか?
子どもにとっての勉強はもちろん子どもの課題です。怠けて困るのは子どもです。行きたい学校に合格するのも不合格になるのもすべて子ども自身の事です。
ですが、成績や進学する学校を親が自分の課題のようにとらえているケースがあります。その行為は「子どもの課題に『土足で踏み込んでいる』」状態に過ぎません。踏み込まれた子どもはどのようになるのでしょう。仮に成績が上がり、志望校に合格できたとしても本当に自分で手に入れたものとしてその価値を感じるのでしょうか。親に言われたことに従順に従っただけといつの日か気づくことでしょう。
そしていつまで親は、子どもの課題に立ち入り続けるのでしょうか?親は、子どもより先にこの世を去るものです。するべきことは、親がいなくなった時、自分の足で立ち生き抜いていく力を身につけさせておくことです。「あなたのため」を都合よく使い、子どもを自分の望むレールに乗せることではそうした力は身につきません。
無理に塾に通わせる必要も無いと思います。勉強は嫌いでも部活は精一杯頑張る、素晴らしいことだと思います。高校には行かず、早めに社会に出て働く、これも素晴らしいことです。
子どもは、大人が関与しなくても(関与しない方が)自分の成長を求め何かに熱中したいと考えます。その中で、「あの学校に行きたい」とか「もう少し英語が出来るようになりたい」と言った気持ちが生まれた時に、塾の存在意義も生まれるのだと思います。
「~しなさい」からは何も生まれません。子どもは子どもの人生を自分で考え生きるべきなのです。少し先を行く者として親がすべきことは、「あなたはどうなりたい?どうしたい?」と問いかけ、サポートできることはしてあげるよと伝えることです。
学校で、塾で、わかりやすい授業を聞いてわかった、参考書を読んでわかった。
でも、次の日には忘れているのが人間です。
“わかった”という経験がいくら続いても“できる”という状況にはなりません。そして成果にもつながりません。
「できる」という状況にするためには、
練習をするという作業が必要になります。
いかに反復練習を行うことができるか。
成果につながる勉強のポイントはその点にあります。
ただ反復練習と言っても当然のことながら取り組み方は個々の状況によって異なります。人によってもそうですし常に90点以上とれる科目と、50点程度しかとれない科目の学習の仕方が同じであるはずはありません。
稲進会での指導者の役割は、適切な反復練習の仕方を指導することだと考えています。指導者は、どのような問題を反復させるのか、チェックをどこまで自分でさせるのか、そうして点を適切に指示することが、わかりやすい解説、ただ面白い授業を行うということよりも大切であると考えています。
もちろん、教科指導も行います。ですが、一方的に伝達するだけの形式ではなく、生徒自らが主体的に学ぶ中でこそ意味のある指導ととらえています。
「わかる」だけでなく、「できる」という段階まで導きます。
ひたすら!真剣に!ひたむきに!
問題と向き合い、「できる」レベルまでたどり着こう!
学習の成果が出ない。そんなとき学校や塾から「家庭学習が不足しています」と言われたことはありませんか?
家庭学習を行い成果につなげることは、実はとても難しいことなのです。
家庭学習を実行するためにまずはテレビやゲームを始めとした数々の誘惑に負けない強い気持ちが必要です。
そして実際に机には向かい勉強を始めたはいいものの、途中でわからなくなったときどうすればいいのか?何となく教科書や問題集の言っていることは理解できたが、これで本当に大丈夫なのだろうか?応用問題に挑戦したいとは思いつつ、自分に適したレベルはどこなのか?生徒自身で客観的な判断をその都度行なっていかなければなりません。
このことを効率よく行うには高い分析力が必要となります。その力を持ちあわせている人は塾に通う必要は無いのかもしれません。
しかし、どんなに優れた問題集や学習システムを使ったとしても使い方が適していなければ意味がありません。
机に長時間向かっていてもなかなか成果に結びつかない場合、家庭学習の取り組み方そのものに原因があると言っても過言ではありません。
仮に家庭学習を長時間行ったとしても成果につながることはほとんど無いでしょう。
稲進会では、経験豊富な講師が、生徒一人ひとりの状況に合わせた学習教材の選択、そしてモチベーションの維持、学習方法の指導、アドバイスを丁寧に行なっていきます。